スーツさんの“悟り”発言は病気か、それとも真理か?虚無主義の視点から考察

日記

目次

スーツさんが「悟りを開いた」と語った理由を考える

鉄道系&旅行系YouTuberのスーツさんが「世の中のすべてに全く意味などないことを完全に自覚しました」と、悟りを開いたことをXで報告し話題になっていますね。

それに対して肯定的な意見もありますが、全体的には「スーツさんがおかしくなってしまった」という否定的な意見のほうが多い印象を受けます。

僕自身はスーツさんの一連のポストを見て、理解できる部分も多くありました。


「意味のない世界」という思想とニヒリズム

スーツさんの「世の中のすべてに意味がない」という考え方は、**虚無主義(ニヒリズム)**と呼ばれており、僕自身の人生哲学でもあります。

一般的には拒絶反応を示されることの多い考え方でしょうが、いずれ人類も地球も、そして宇宙すらも無に帰すことを考えると、この世に本質的な意味がないのは明らかです。

だから個人的には、スーツさんはこれまで通りなんじゃないかと思っていたわけです。


対談動画で見えた「異変」

しかし、リハックちゃんねるの高橋弘樹さんとスーツさんの対談動画を見て、明らかにスーツさんの様子がおかしくなっていたので驚きました。

まず最初に目についたのは、その落ち着きのなさです。
とにかく頻繁に立ち上がって歩き回ったりしており、以前のスーツさんとは別人のようでした。

それに、机の上に寝そべったり座ったりするなど、以前のスーツさんでは考えられない行動も見られました。

「椅子は座るもので、机は作業をするもの」という定義は、所詮人間が決めたことであり幻想だ。

この言葉はその通りだと思うんですが、だからといって実際に机に座るという行動を取ったことには驚きました。
もちろん、今の自分の考え方をわかりやすく説明するための演出だったのかもしれませんが。

(動画の後半でやはりパフォーマンス的な要素があるとおっしゃってました)


「理解」と「実感」の違い

ニヒリズムの考え方に行き着いただけで、なぜこんなにも人が変わってしまうのか?
ずっと疑問に思いながら動画を見ていましたが、腑に落ちる瞬間がありました。

スーツさんがこう語ったのです。

「僕と高橋さんの違いは、高橋さんもニヒリズムの考え方を理解していると思います。僕はそれを実感している状態です。」

この言葉を聞いて、今のスーツさんの状態がどういうものなのか理解できました。
確かに、“理解”と“実感”は全く別の話です。


ニヒリズムを「実感」するとは

例えば僕自身も、この世に何の意味もないと考えていますが、それでも美味しいものを食べると幸福感を感じますし、好きなアニメを見ると楽しい気分になります。

その瞬間はニヒリズムのことなど頭になく、ただ感情に身を任せている状態です。
つまり僕は、ニヒリズムを「理解」はしていても「実感」はしていないわけです。

しかしスーツさんの発言で興味深かったのが、

「自分の体は雲のように感じ、周囲の物は霧のように感じるようになった」
というもの。

このことから、彼は常にニヒリズムを“実感”しながら生きているのだと思いました。
常に世界を俯瞰して見ている状態なんじゃないかと。

そうなれば、人からどう思われてもどうでもよくなるので、スーツさんの行動にも説明がつきます。
彼は「生きていることも死んでいることも同じだ」とも語っていました。


「悟り」か「病気」か

これは普通の人が聞いたら「頭がおかしくなった」と思われるでしょう。
しかしながら、視点を変えれば理解できます。

この世に存在するすべてのものは原子の集合体であり、それは人間も同じです。
生きていても死んでいても、その事実は変わりません。

死ねば分解され、別の物質を構成する原子になるだけです。

このように理解はできるわけですが、それを実感して生きている人は普通いないでしょうし、実感しないほうが良いことでもあります。

なぜなら、実感してしまうと生きているのがつまらなくなるからです。
美しい景色を見て感動する瞬間に「ああ、これはただの原子の集合体なんだ」と思ってしまうと、台無しですよね(笑)


スーツさんは本当に病んでいるのか

Xでは、スーツさんが統合失調症などの精神疾患になっているという意見が多く見られます。
しかし、話している内容は哲学的なだけで、論理は破綻していません。

僕自身は医者ではありませんし、今のスーツさんの状態が精神疾患なのかはわかりません。
ニヒリズムを実感することを「悟りを開いた」と見るか、「精神疾患になった」と見るかは、第三者の観測に過ぎないのかもしれません。


終わりに

ただ、彼自身が心身ともに健康で、穏やかに毎日を過ごせることを祈ります。


🌿まとめ

  • スーツさんの言動は「虚無主義(ニヒリズム)」の実感によるもの。

  • 理解と実感の間には大きな隔たりがある。

  • 哲学的な変化を「悟り」と見るか「異変」と見るかは、人の立場によって異なる。

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