つい先日、10年以上ぶりにおじいちゃんに対面した事を書きましたが
その後容体が悪化して25日に亡くなりました。
あの時会いに行って正解でした。
おじいちゃんには子供の時によく近所のラーメン屋に連れて行ってくれた事や名探偵コナンの新刊が出たらいつも家まで持ってきてくれた思い出が蘇ります。
子供の時から20代前半ぐらいまでは親戚の集まりの度に顔を合わせていました。
でも僕は発達障害でコミュ障なので段々親戚の集まりが心理的に負担になっていったのです。
いとこ達と話す時も物凄く緊張するのにその旦那さんやお子さんとはどう接したらいいか分かりません。
だから段々親戚の集まりに行く事がなくなって、おじいちゃんと会う機会も減っていきました。
おじいちゃんが施設に入ってからは何度か母に同行するかたちで会いに行こうかなと思いましたが、久しぶりに会って何を話せばいいか分からないし、そもそも僕の事を覚えてないかもしれないと思い、会いにいけませんでした。
そこから時が経ち、ようやく対面する事が出来たのはおじいちゃんが亡くなる五日前でした。
何やってんだろ・・・と自責の念に駆られます。
本当にギリギリでしたが最後に対面出来て良かったです。
お通夜とお葬式では泣きませんでしたが、やはり家に帰って緊張の糸が切れると涙が出てきましたね。
あと明日の記事で書く予定ですが今回のお葬式で自分が発達障害である事を嫌という程実感しました。
最近は自分が発達障害である事を忘れかけていたのですが、久しぶりに生き辛さを感じた2日間でした・・・。
コメント
毎度。無職童帝です。
まずはお悔やみ申し上げます。
大変でしたね。
私は、父方、母方とも私が生まれる前に亡くなっていたので、
祖父を知らずに育ちました。
父方は、昭和11年、父が3歳の時でした。
当時は日本領だった韓国・江原道で、仕事先での事故死と聞いています。
母方は私が生まれる半年前、食道癌でした。
この1年で、私の方も親戚の弔事が相次ぎました。
叔母、母の妹2人を残して、あれだけ大勢いた伯叔父母ももういません。
母も持って数年と思います。
恐れ入ります。
やはり冠婚葬祭は精神的にかなり疲弊しますね。
石見さんの年代になると弔事が増えてきますよね・・・。
僕も今後の人生で弔事は避けては通れないので今から備えておこうと思います。
石見さんのお母様が長生きできる様に祈ってます。