先日書いた「比較病」の記事で、人生には本質的な価値がないと考えることで心が軽くなったと書きました。
この考えに行き着いてからは、以前よりも心が穏やかになり、平穏に過ごせるようになりました。そして、気づけば劣等感もほとんどなくなっていたのです。今回は、その理由についてお話ししたいと思います。
目次
劣等感の正体
まず、僕は「劣等感がなくなった」と書きましたが、実は今でも周囲の人と自分を比較し、「自分は劣っている」と思うことはあります。
「え?それじゃ以前と同じ劣等感の塊じゃないか?」と思われるかもしれませんね。しかし、実際には違います。
なぜなら、「自分が劣っている」という事実を認めた上で、それをネガティブに捉えなくなったからです。
「劣っている」と認めることは、劣等感ではありません。ただ単に、自分の能力を正確に把握しているだけです。
たとえば、僕はADHDの特性があり、対策をしなければ注意散漫によるミスが多くなってしまいます。これは明らかに不利な部分だと言えるでしょう。
また、僕はこれまで一度も彼女ができたことがなく、異性に対する魅力が乏しいのかもしれません。これも事実です。
しかし、それらの事実を受け入れた上で、なぜ劣等感を抱かなくなったのか? それは…
ニヒリズムの考え方で前向きになれた
これは冒頭で述べた「人生には本質的な価値がない」という考えに通じるものですが、
「この世のすべてのものや人間には、何の価値も意味もない」
というニヒリズム的な考え方を持つことで、自然と劣等感がなくなりました。
現代社会において「優秀な人間」とは、学歴が高かったり、知能が高かったり、稼ぐ力のある人のことを指します。
これらの人々と自分を比較し、劣等感を抱いたことがある人も多いのではないでしょうか?
しかし、どんなに優秀な人間であっても、結局のところ「人間」という枠を超えることはできません。
100年後にはこの世から消え、200年後にはその人のことを知る人すらいなくなる。
つまり、完全なる無になるのです。
歴史に名を残すような偉人も例外ではありません。
文明が滅びれば、何もかもが消え去ります。
地球や太陽ですら寿命があり、宇宙そのものもいずれ終焉を迎えます。
そう考えると、「他人と比較すること自体が無意味で馬鹿らしい」と思えませんか?
周囲と比較して劣等感に苛まれるよりも、自分がやりたいことをやるほうがずっと建設的です。
頑張る必要なんてありません。
僕は今から歯を磨いて、残りの時間はダラダラとゲームをしようと思います。
これこそが、人間らしい生き方です(笑)
それでは!(^_^)/~
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